twitterを眺めていたとき、
「他人と比べたときに負けている、下に見られることが悔しい」
というような内容について語っている方がおられました。
あの後どんどん感情が入っていってしまったので、あの場ではおそらく
「愚痴ばかり垂れ流すなよ」と思われた方が多数だったのかもしれませんが、
私にしてみれば否定でも共感でもなく、まったく別の感覚で眺めていました。
うまく言葉にできるかわからんままに時間が流れてしまったので、こちらにメモしておきます。
結論から綴ると、
そういう気持ちがあるのは、「ぶっちゃけ、良いことなのだ」と思います。
それが人間のごく普通の心の働きではないだろうかと思うのです。
ただ、なんの根拠もなく100%同意してるわけではないので、詳細は以下。
たとえばいま、苦しい、悔しい、悲しい、と思えるというのは、
その物事について、「諦めていない」からだと思うのです。
こうしたい、こうなりたいな、っていう理想があって、その理想に
辿り着いていない現実に対して悲しくなったり、悔しくなったりする。
それは当然のことだし、良いことなんだと思う。
なぜなら、「まだあなたが諦めていないから」。
私なんかは、自分が誰かと引き比べて劣っているということは
もう既知の事実として、疑いさえ持たなくなっています。
もちろんこれは一見、正解のようにも思います。(実際、つい最近までそう思っていた)
「勝ち負けにばかりこだわることに何の美徳があるのか」とか、
「妬みや憎しみなんて何も生産的じゃない」とか、そんな気持ちだったから。
無論、その境地に至るのは、すごく楽です。というより、楽になります。
すごいものを「すごい!」って素直に思えるし、ちょうどライブ会場にでも
見に行っているような気分で、勝ち負けじゃなく、「ただ好き」と、
そこには虚栄も妬みもなく、なんでも好きで、なんでも楽しめる体質になる。
たしかに、喜ばしいのです。
が、この感じ方は、おそらく老後にはオススメなのですが、若いうちはオススメしません。
私がいま現在進行形で悩んでいるので、敢えて書くのですが。
気持ちの上では「負けでもいいや」。
でも現実、負け続けることは実を言うと不可能だから。(社会的・経済的な観点で)
そして一度そういう状態に陥ると、抜け出すために余計な馬力を必要とします。
ごく普通にできるはずの「気合をいれる」行為に、苦手意識を持つハメになります。
それが極端なラインまで進行すると悲惨です。社会的自殺になりかねませんから。
だからぜひとも、今を生きる若い方、苦しんだりしている方には、
そんな「負けたくない」という熱意を燃やし続けてほしい、応援したいのです。
中途半端な悟りで自己満足するより、生きるためにはそちらのほうがよっぽど重要だと思えたので。
自分の力に 早いうちから見切りをつけるもんじゃないです。
私は幼いときから わりと「0か100か」しか見てないような性格で、
今もその傾向を引きずっているところがあって自分を貶めているのですが
でも、1から99までの空間に首つっこんで、血のにじむような努力を買った人は
きっと必ず輝ける。少なくとも、しないよりは良い方向へ歩いていける。
あなたが勝者になれることを、ひっそり応援しています。
そして私も、そういう背を見習って、這い上がっていこうと思います。